何もしていないときに、していたことがある
今から10年近く前。
- 筋痛性脳脊髄炎/ME(慢性疲労症候群/CFS)
- IgA欠損症
という指定難病の宣告を受けた頃。
この年は、体調が非常に悪く、
一日中横になっているだけの日も多く、
20代で起業して以来ひとり親方として
常に全力疾走していたわたしは、
何もしていないか自分に焦りを感じていました。
けれど、この年の夏、久々にお盆に実家に帰ることになり、
そこで、幼少期から抑圧を受けていた母とようやく和解でき、
親族との話し合いがなされ、
わたしの心の歴史に大きな一幕が下りたのです。
そのとき、母と和解できたという安堵とともに、
何もしていないか自分を許すことができたという安堵で、
涙が溢れてきました。
そして、顕在意識的には、動けなかったことも多く、
スケジュール的にはまったく忙しくなかったけれど、
潜在意識的には、体が、心が、目まぐるしく動いてくれていた
それが自然と腹落ちできた瞬間でした。
何もしていない、の反対側に、
何かしてたことがちゃんと詰まっている。
何もしていないという見方は、
ある方向からの価値観に即してだけであって、
角度を変えてみれば、
24時間、どの瞬間も進化のきっかけがぎっしり詰まっていました。
何をしたとしても、
何もしていなかったとしても、
人生に無駄な時間など一瞬もない。
わたしは、何もしていないんじゃなく、
当然だけれど、療養中はよく眠ってました(笑)
それに、働かざる者食うべからずの価値観にやられていたことにも気が付きました。
これは、目先の労働をしないものには価値が無い、という危険な思想です。(福祉からは遠い。)
どこまでいっても、エネルギー保存の法則は適用されるみたいです。
あなたが、今もし、立ち止まってしまっているとしても、
どうかそれでいいのだと、自分を許してあげてくださいね。